2012年10月号 情報のストックからフローへ
探し物はマックに任せて
中学生のときから現在に至るまで、私は一貫して「ノートは1冊」である。全教科、全トピック、落書きも含めてすべて1冊のノートに順に記す。自分の思考の時間軸がそこに投影されるところが好きなのだ。
80年代、大学生になってマックを使い始め、90年代、ノート型のマックが実用的になった大学院生時代からは、手書きのノートに加えてマックがデジタル版の「ノートは1冊」になった。近年、「Evernote」を使い始めると、マックの役割はよりダイナミックに進化した。
Evernoteの登場までは、長年、情報をマックに集約してきた。「超」整理法が話題になる以前からファイルは時系列に並べられたし、ファイル検索も優秀なため、「整理しない整理法」を実践できたからだ。分類しなくても、マックにさえ入れておけば絶対に見つかるという安心感がマックを使うアドバンテージのひとつでもあった。
21世紀になると、超強力な検索をOSレベルで実現する「Spotlight」がマックに搭載された。ファイルの中身まで含むすべての文字情報を対象とし、一瞬で結果表示が始まる画期的な検索機能だ。
おかげで、ファイル名を工夫する必要すらなく、情報を単にマックに置いておけばあとで見つけられる。マックの画面右上にある虫眼鏡アイコンからSpotlightを開き、必要な言葉を書き込むだけでよい。またFinderウインドウの右上にある検索窓からも同様に検索可能。マックは探し物の達人なのだ。
文字情報以外でも、例えば写真ならEXIF情報で検索できる。加えてiTunesの「スマートプレイリスト」やiPhotoの「スマートアルバム」のように、各ソフトの中でも「スマート○○」という形で、この超高速なリアルタイム検索機能が応用されているのだ。
このような検索を使った探し物だけでなく、ファイルや写真を目で見て探すためのブラウジングも超高速。「見つける」道具としての性能を高め続けてきたマックは、優秀な「過去発見器」と呼んでもよいだろう。
欲しい情報を探してもなかなか見つからなければ時間を浪費するだけだ。公になっている情報ならウェブを検索すればいいが、過去に自分が書いたメモとか作った文書などは自分のマックの中にしかない。
マックは自分がたどってきた道程を振り返る「探し物」を一手に引き受け、瞬時に終わらせてくれるマネージャーなのだ。過去の探し物をマックに任せられるからこそ、ユーザーは未来に向かう創造的な仕事に集中できるのである。
発信も受信も一カ所で
Evernoteを使い始めて、大きく変わったことが3つある。まず第一に自ら発信する情報と他から入ってくる情報の両方を、Evernoteというひとつのアプリの中で扱うようになったことだ。これは私がマックを使い始めて以来の革命的な変化である。
マックは探し物の達人である以上に、知的生産の道具だ。文章を書いたり写真を編集するといった表現の環境を整えることが私にとって最も重要である。
文章を書くときには、さまざまな情報を参照する。裁判例、論文、新聞記事、ウェブページ──。そのような、他から入ってきた情報が自分が書く文章に混入することは許されない。
もしそれらの情報を自分の文章で使いたい場合は、著作権法32条に則った「引用」をする必要がある。本文と引用部分をカギ括弧などで明確に分けるとともに、引用部分は原文のまま表記するのだ。従って、自分が書く文章と資料となる情報とは完全に分けてマックに保存することが必須なのである。
そのため従来、新聞記事やウェブページをクリッピングする際には、Finderに専用のフォルダを作り、テキストファイルやPDFにして単純に保存していた。自分が文章を書く環境として使っているアプリは使わないのだ。それでも前述の通り、マックの強力な検索機能のおかげで、必要な情報は瞬時に見つけることができる。
ところが現在、両者をひとつのアプリ、Evernoteで扱っている。外から入ってくる情報はすべて「clipping」と名付けたノートブックのみに入れることで、混在は防げるからだ。
例えばウェブページを保存する場合は当該部分をブラウザーでコピーした後、control+⌘+Vキーを押せばEvernoteに張り込まれる。また、紙の資料は㈱PFUの「ScanSnap」でスキャンすると、文字認識され検索可能なPDFがノートブックに保存される。すべての資料がEvernoteに集約される利便性は大きい。
情報は流れる
第二の変化はクラウド化である。Evernoteはクラウドサービスだから、Evernoteに書いた情報は即座にクラウドに同期され、ウェブ上、マック、iPad、iPhoneなどから閲覧、編集できる。いままでマックのみで作業していた執筆環境に比べ、はるかに柔軟だ。
大小さまざまな原稿、手紙、ブログの草稿、メモ──。メールやウェブページに直接書くコメント以外、ほとんどの文章をEvernoteで書く。出先で考えた文章をiPhoneのEvernoteに書いておき、研究室に戻ってからマックで編集。さらにそれを後から、自宅のiPadで推敲する、といったことがいとも簡単にできるのだ。
受信する情報と発信する情報を両方ともEvernoteで扱うようになった理由もこれだ。例えば、紙の資料の束をScanSnapに置き「Scan」ボタンを押して研究室を出る。電車に乗ってiPadを開けばその資料が届き、ゆっくり読むことができる。
また、Evernoteのノートブックは他のユーザーと共有することができるので、共同作業の効率化をはかれる。アシスタントに依頼する書類はEvernoteで共有しているし、ある研究室内の複数のスタッフで共同してひとつの文書を完成させていく業務には日常的に利用している。クラウドのありがたみを強く感じる使い方だ。
第三は情報を扱う意識の変化である。従来、私にとってマックは前述の通り「すべての情報がストックされている玉手箱」だった。しかしクラウドを使うようになると、情報を「溜める」という発想が薄れていく。
Evernoteには事実上、容量の上限がない。月ごとの上限は決められているが、それに達した経験はない。上限がなければ「溜まる」こともない。そこに情報を入れる感覚は「流し込む」に近い。いわば「フロー」的なのである。
これは他のクラウドサービスにも共通する感覚だ。例えばTwitterやFacebookのパブリック・タイムライン。時間軸の上を情報が流れ、消えていく。
一方、Evernoteにあるのはパーソナルな時間軸だ。情報を溜めるのではなく、自分専用の時間軸に情報を置いていく感覚である。クラウドを使ったフロー型の情報マネージメントを個人の領域で使える利便性は、これこそ現代版の「ノートは一冊」なのだ。